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【通潤橋の『国宝』指定答申のお知らせ】

最終更新日:
令和5年6月23日(金曜日)に開催された国の文化審議会において、通潤橋を『国宝』に指定するよう、文部科学大臣に答申が行われました。
秋ごろに官報告示され、正式に指定となります。
※「文化審議会」とは、文部科学省(文化庁)に設置された諮問機関です。

土木構造物として「国宝」指定を受けるのは、全国初です。
熊本県内では、「青井阿蘇神社」(人吉市)に続いて2例目、九州では9例目となります。


 

指定となる物件

 【名称】通潤橋 
通潤橋全景
 【員数】1基
 【構造及び形式】石造単アーチ橋
         取入口から吹上口に至る水路を含む
 【附指定】
  附(つけたり) 御小屋 1棟
          御試吹上樋(おためしふきあげどい) 1所
          石碑 2基  ※「通潤橋」・「通潤橋建築中勉勤之銘」
          関係文書 2冊  ※「通潤橋仕法書」・「南手新井手記録」

 ※附指定
  文化財本体に関連する物品や資料を本体と併せて文化財指定すること。価値を証明したり、その根拠となるものなどが含まれる。
御小屋御試吹上樋
石碑「通潤橋」「通潤橋建築中勉勤之銘」
通潤橋仕法書南手新井手記録


 
写真キャプション
 左上:御小屋         右上:御試吹上樋
 左中:石碑「通潤橋」     右中:石碑「通潤橋建築中勉勤之銘」
 左下:古文書「通潤橋仕法書」 右下:古文書「南手新井手記録」

 ※「御試吹上樋」は、駐車場等が未整備のうえ私有地に立地しているため、現在は公開していません。

 

町長コメント

 この度、6月23日、金曜日、国の文化審議会において、通潤橋を「国宝」に指定するよう、文部科学大臣に答申が行われた、との連絡をうけました。
 通潤橋は、約170年前に白糸台地を潤すことを目的として建造され、今も現役の石造アーチ水路橋です。今回の答申は、「国宝」としては、県内で2例目ですが、土木構造物としては全国初の事例にあたると聞いています。地域の先人たちが、水源に乏しい台地の地形的な制約に屈することなく、試行錯誤を繰り返し、叡智を結集して生み出されたもので、九州の石橋文化を象徴する素晴らしい建造物であることが評価されたものと受け止めております。
 また、通潤橋は、通潤用水の要として、今日でも地域の農業を支えており、自然と共生してきた、山都町の暮らしを象徴するものでもあります。今日の美しく、かつ雄大な通潤橋の姿は、これまで数世代にわたり、通潤橋・通潤用水を守ってこられた通潤地区土地改良区をはじめ、各方面で、多大なるご支援をいただいた皆さまの、たゆまぬ活動によるものと、実感しています。あらためまして、敬意を表すると共に、心より御礼を申し上げます。

 今回、「国宝」指定の答申をいただいたことは、本町にとりまして大変栄誉なことであり、町民の皆さまに、このような明るいニュースを報告申し上げることができ、心より嬉しく思っています。また、今後とも、山都町民とともに、日本の宝として大切に守り、後世に受け継いでいく重責を自覚したところです。

 本町では、九州中央自動車道の建設が進められており、本年度中に、山都通潤橋インターまでの開通が予定されています。通潤橋には、これまでも県内外から、多数の方々にお越しいただいておりました。この「国宝」指定答申によって、さらに多くの皆さまに、通潤橋、ひいては、山都町の魅力を知っていただく絶好の機会になることと思います。
 本町としましては、貴重な文化財を将来に継承していくために、今後もより一層、保存と活用に力を入れてまいりますともに、町民や関係者の皆さまのご理解、ご協力を賜りながら、この機会を活かして町のさらなる発展につながるよう、努めてまいります。

山都町長 梅田 穰


 

通潤橋の特徴と評価された点

  • 通潤橋は、四方を谷に隔てられた白糸台地を潤すため、渓谷に架け渡された石造アーチ水路橋で、「吹上樋」(通水管)を用いて通潤用水上井手を通す施設です。
    ※通潤用水:上井手・下井手の2本の幹線を有する農業用水。
  • 白糸台地により多くの新田を開くため、近世最大級の径間のアーチ橋の上にサイホン(逆サイホン)の「吹上樋」を据えるという独創的な構造を採用しています。近世のかんがい施設として他に類例がなく、新田開発史上において傑出した存在で、近世の水利土木施設の到達形態の一つを示しています。
※通潤橋の「吹上樋」は、白糸台地と同等の高さのアーチ橋建設が困難であったため、取入口と吹上口の比高差2.2mを利用し、取入口から一旦低位部の橋上を通り、台地上の吹上口に用水が吹き上げる構造。農業土木分野では、この施設の形態から、サイホン(逆サイホン)と呼ばれています。
  • 耐久性に優れた凝灰岩製の石管からなる「吹上樋」を据える必要があるため、その重量に耐え、かつ安定し耐震性を高める工夫として、熊本城の石垣を参考とした「鞘石垣(さやいしがき)」を導入するほか、内部には割石を入念に積んだ「裏築(うらづき)」の構造を用いるなどの工夫が施された、近世石橋の傑作です。
※「鞘石垣」は、城郭の石積み技能者である穴太(あのう)が有した技術で、高さ1間ごとに勾配を変化させて、下部は緩やかで、上部にいくほど急直な勾配に変化し、反りを有する石垣(「のり返し勾配」ともいう。)を指します。通潤橋では、在地の石工がこれら技術を習得し、高度に再現されています。
  • 通潤橋・通潤用水の建造は、企画立案から完成に至るまで、「矢部手永(てなが)」が事業主体となり進められました。手永の長である惣庄屋(そうじょうや)の布田保之助(ふたやすのすけ)は、事業の責任者です。布田をはじめとする手永役人が、吹上樋の実験をはじめ、藩との折衝を繰り返しながら事業計画をまとめたほか、工事や費用の監理など、運営全般を担っています。このように、社会資本整備を主に地域社会が担う近世後期、及び末期の代表的事例と言えます。
  • 熊本藩領では、特に手永が巨額の自主財源を有したほか、測量術などの土木的修養を積む手永役人、石工・大工などによって地域に土木技術が蓄積され、多くの水利土木事業を推進することが可能でした。通潤橋は、九州における近世後期の石造アーチ橋建設をリードした熊本において、試行錯誤の末に生み出されたもので、九州の石橋文化を象徴するものでもあります。
※手永(てなが):細川忠利入国後(寛永9年(1632)~明治3年(1870))の熊本藩領で採用された、郡と村の中間におかれた地方行政機構。矢部手永は、領内最大の75ヶ村を管轄しました。


 

通潤橋の見学について

 現在、農業用水として利用しているため、放水を休止しています。
 放水は、令和5年7月15日(土曜日)から再開となります。放水カレンダーをご確認ください。
 併せて、放水日に限り有料で橋上部の見学を実施しています。下記リンクをご確認ください。
  1. 2023年 通潤橋放水カレンダー別ウィンドウで開きます
  2. 通潤橋 橋上部の見学について別ウィンドウで開きます
 





問い合わせ先

【通潤橋の放水・観光情報等について】 山都町役場 商工観光課 (電話番号)0967‐72‐1115
【通潤橋について(橋上部の見学、文化財関係等)】   山都町教育委員会 生涯学習課 (電話番号)0967-72-0443


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蘇陽支所 〒861-3913 熊本県上益城郡山都町今500番地 Tel:0967-83-1111(代表)0967-83-1111(代表) Fax:0967-83-0549

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