和田ユイ子(わだ ゆいこ)さん 昭和9年生まれ 金内

「百姓大好き」
和田ユイ子さんが出荷する野菜の袋には、「百姓大好き 和田ユイ子 1977年 有機農業開始 現在に至る」のラベルが貼られています。
「田畑に出ると元気になります。消費者の方からは、『(和田さんの物は)昔ながらの、体に優しい自然な味ですね』と言われます。」
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昭和32年に亘之(のぶゆき)さんと結婚した当初は、酪農を一緒に営んでいました。昭和38年に酪農をやめて亘之さんが中島森林組合(当時)に勤めると、一人で農業をするようになります。
「二人で農業をしていたら、自分の思うようには出来なかったでしょう。一人でやっていたから好きに出来たのです。」
昭和40年代後半から、矢部町農協組合長(当時)の佐藤明雄氏や熊本大学医学部の竹熊宜孝(たけくま よしたか
)氏※注 などが、有機農業を提唱します。そうした中、県内で「いのちと食べ物を考える会」が発足、3人の子どもを持つ母親として共感して参加します。
「有機農業は理想でした。飯星幹治さん達の有機農業者のグループ、「三葉会(みつばかい)」にお世話になりながら、有機農業に没頭していきました。」

和田亘之さん ユイ子さん
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作る野菜の種は、40年以上、在来種(固定種)を自家採種しています。
「古い農家の隅に残っていた在来種の保存に情熱を燃やしました。自家採種の種は発芽率が高く、できた野菜は味が濃くて香りも強く、生命力に満ちています。」
自宅に隣接した加工所では、自身が開発した漬物「麹(こうじ)漬け」を作ります。これは夏場に塩漬けをしていた大根やキュウリ、ナス等を、自家製の玄米麹で塩抜きしたものです。他にも発芽玄米味噌や赤梅に紅ショウガ、得意なのは、緑米のあんこ餅やいきなり団子などと、作る加工品は多彩です。
「くまもと有機の会の方から、『和田さんは加工品をやって欲しい。生活するぐらいは、売りきるばい』と言われてはじめました。」

自家採種40年以上のトマト
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有機農業や加工品作りを習うため、遠くは秋田からなど、これまで30人を超える人が研修に来ました。
「ある研修生は、うちで食事をして『こんな食べ物が世の中にあるのですか』と驚いていました。自分の子どもの事より、研修生の思い出の方が多いくらいです。『来る者拒まず』で受け入れてきました。」

加工所のたくさんの漬物

平成20年頃 東海大農学部学生との実習
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有機農業と出会い、自家採種の種でありとあらゆる野菜を作り、イベントの時には千個の饅頭を作ったりもした和田さん。自らの暮らしを「超素朴な生活」と言います。
「私の農業は、稼ぎは大きくないけど、お金も要りません。そして、私は案外、金儲け上手なのです。余剰野菜は加工して販売し、その残りは飼っているニワトリのえさにします。ニワトリは卵を産むので、うちでは卵を買ったことがありません。」
「有機農業のおかげで、他の人が経験できないことを経験できました。これまで受け入れてきた研修生には、『いつでもご飯を食べにおいで』と言います。せっかく山都町を選んで来てくれた人達に、暖かい手を差し伸べてやりたいのです。」
注:現 菊池養生園診療所 名誉園長