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木村家ルーツについて
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木村家ルーツについて
私は島木(木鷺野)出身の木村と言います。
実家は農家で茶や米を作っていたそうです。
江戸時代までは戸籍でわかりましたが、
島木の木村は元々、何処から来たのでしょうか?
もし、ご存知であればご教授願います。
木村信幸
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2025年04月06日 16時34分04秒
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Re:木村家ルーツについて
>私は島木(木鷺野)出身の木村と言います。
>実家は農家で茶や米を作っていたそうです。
>江戸時代までは戸籍でわかりましたが、
>島木の木村は元々、何処から来たのでしょうか?
>もし、ご存知であればご教授願います。
ご教授頂きありがとうございました。
なるほど、ご説明頂いた様に姓名も変わって行った
可能性がありますね。姓を自由に名乗って
良くなったのも明治に入ってからですし、
村同士の交流もあったでしょうから移り住む事も
多々あったでしょうね。
ありがとうございました。
木村
Mail
2025年04月12日 23時49分11秒
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Re: 木村家ルーツについて
木村さん、こんにちは! あいにく木村氏のルーツについては存じ上げませんが、荒木氏についてはこんな話を聞いたことがあります。
古代、御船川は矢部郷への文化の入口であり、その沿線には歴史の名残が残っているといいます。 例えば、6~7世紀ごろのものとされる島木峰の遺跡からは、三基の箱式石棺や鉄剣三振、鉄鏃が出土しました。また、地名「金内」や上流の「鍛冶床」といった名称も、かつて鉄文化が栄えた痕跡とされています。
製鉄を担った蹈鞴(たたら)集団の中には、「鉄穴師(かんなじ)」と呼ばれる採鉱係や、「カヌチ」という砂鉄採掘係がいたと伝えられています。地名「金内」は、これらの言葉が変化して生まれたという説があります。
さらに、炉の主任を「村下(むらげ)」と呼び、副主任は「炭坂(すみさか)」とされました。炭を勢いよく燃やす職務だったので、このような名前が付いたのでしょう。 また、「炭焚(すみたき)」は木炭投入係、「荒木(あらげ)」は採鉱係の助手のような役割でした。「荒木」という姓は、ここから生まれたと言われています。
村下(むらげ)の人々は、金内から田小野へ、さらに朝日の方へと移動し、その途中には古い姓を持つ人々が今も残っています。
荒木姓を調べると、島木に約20軒、清和の鶴ケ田に約27軒が見られます。清和から中島の島木、麻山の前谷にかけても、島木を中心に荒木姓が広まっており、下名連石に5軒、千滝や杉、浜町、上寺などの町中にも、20軒近くの荒木姓が存在します。
また、御岳の麻山には「村木」という姓の人々がおり、その由来は「ムラゲ」とされます。朝日の安方へ行くと「村手」へと変化し、彼らは採鉄を行った人々の後裔だと言われています。
山都町郷土史伝承会 2025年04月07日 10時31分12秒
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