小一領神社の社殿の左側、神輿殿の右に赤い鳥居が建っていま
す。ここが、七畝稲荷神社里宮の登り口で中腹に社殿があります。奥宮は、下市字山中谷にあります。それ以前は、同じ下市の水口と言うところにあったそうです。先に生目神社を新町の妙見さんから小一領神社の境内に移し、その後にこの七畝稲荷神社の里宮が創建されたと登り口の鳥居の横に由緒を書いた碑(昭和44年11月吉日)が建てられています。 ぼくの生まれ育った地が下市なので、奥宮には小さいとき何度も遊びに行きました。地元では、この奥宮のことを「きくんじょうさん」と呼んでいます。漢字でどう書くかは分かりませんが、語感からすると「貴君城さん」のような気がします。この奥宮は、旧白糸往還の沿線上にありました。白糸往還というのは、現在の伴病院の横を通り下市の...大坂(ううさか)を通り長原(小原)の宣薫寺の横へ抜け出る道のことです。ちなみに、社号の七畝というのは、奥宮の敷地が七畝あるので七畝稲荷神社と称しています。
2017年04月26日更新