過去(2011年8月31日)日記から
夏休み最後の日曜日で,にぎあう熊本市立博物館へ行ってきました。
お目当ては,リュニアルされたプラネタリウムの鑑賞です。
投映時間まで時間がありましたので,館内の展示物を見学しました。1階部分は,地質・生物・科学などのフロアで,2階が考古学・歴史・民俗学などのフロアです。もう何回も博物館には訪れていますが,どうしても関心のある2階フロアに足が向きます。
民俗学では,よく時間や空間の「境界」を扱います。例えば,空間の境界では,しめ縄を張り巡らし聖と俗とを区分します。しめ縄なんて縄一本なので無視しようとすれば無視して越えることは出来ます。
しかし,日本では,高い塀や柵をしなくても,簡単な目印を示すだけで,境界がきまり安心できた社会がありました。そこに住む人々がお互いに信頼しあって生きていける社会です。
帳場もそうですね。低い格子の柵がおかれているだけです。誰でもがそれを乗り越えることができます。しかし,この格子柵の中には,主人と番頭しか入ってはいけないという規範があります。その規範が守れてきたのが日本社会なのです。
なんと,費用がかからなくて安心安全な社会でしょうね。もう一度,この安心安全な社会を復興させたいものです。
そんな思いで展示物を見学していたら,投映の時間となりました。初め15分程度は熊本のきょうの星空が映し出されました。その後,45分に亘り小惑星探査機「はやぶさ」の地球帰還に至るまでの物語がナレーションと共に投映されました。
いやー,感動しましたね。途中からぼくは,はやぶさに感情移入してしまい,数々の困難に立ち向かうはやぶさに対して「がんばれ!」とエールを送っていました。大気圏再突入の場面では,自分の身を焦がして地球に戻ってくるはやぶさに涙があふれて止まりませんでした。
と,同時に先ほど民俗学の展示物を見て感じた日本の心を思い出しました。物体である「はやぶさ」に対して,まるで命あるもののように愛しい心を抱き涙する我々日本人は,「物これ物にあらず」なんだなと思いました。
天皇誕生日に先立つ2010年12月20日の記者会見で、天皇陛下は「はやぶさ」について次のように述べられました。
『小惑星探査機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に着陸し、微粒子を持ち帰ったことは誠に喜ばしい今年の快挙でした。一時は行方不明になるなど数々の故障を克服し、ついに地球に帰還しました。行方不明になっても決して諦めず、様々な工夫を重ね、ついに帰還を果たしたことに深い感動を覚えました』
また皇后様は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを次のように和歌に詠まれました。
その帰路に己れを焼きし「はやぶさ」の光輝(かがや)かに明かるかりしと
多くの人々の祈りが込められた「はやぶさ」に,多くの国民が物体以上の思いを抱きました。