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掲示板です。
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山都町郷土史伝承会 2015年03月17日 08時21分59秒
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Re: 掲示板です。
 「目丸の大多良村の由来について教えて下さい。」との問合せがありました。以下諸先生の説を紹介します。

 明和2年(1765)の「国郡一統誌」には,黒谷,小迫,市ノ尾,居屋敷,井野,出崎,金地,西小(オ),中小,尾多羅(多太良)崎,菅頭,鹿出蔵,中尾牟連,大石原及び貫原の15の目丸の小村が記されています。

 地名研究家の倉岡良友先生の説によれば,尾多羅(大多良)崎の「尾・崎」は尾根筋台地の終わり,末端,先端だ表す言葉だそうです。「タラ」は,マライ語の,平らな,平坦,台地上が緩斜面の意味もある。その反対にタラの類似音クラが転訛したもので崖地,高くそびえた断崖地形に名付けられた崖地名だとされています。従って,尾多羅(大多良)崎は,山裾の尾根筋の台地上が平で緩斜面で,その先端は急崖地形となっていることを表現した地名だと先生は述べられています。

その一方で先生は,カナジ,オオタラ(タタラ)の表音語から製鉄に由来するものと考えられるとも述べられています。タタラ(大多良)は製鉄精錬の炉で鞴(吹子)のことを言います。

亡くなられた郷土史家の井上清一先生は,別の観点から大多良の由来について説明されています。先生の説明によれば,アルファベットの「O」の発音が付く地名には,木地師にまつわるところが多いと言われます。

大多良はもちろんですが,青石は通常は「あおいし」と呼んでいますが,地元の古老は「おし」と呼ぶんだそうです。この青石や大平,笈石等々「O」で始まります。人の名前で言えば「小椋」,「大倉」,「大庫」等々もですね。ちなみに目丸には木地師の子孫がいたことが確認されています。
山都町郷土史伝承会 2025年02月13日 18時33分14秒
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Re: 掲示板です。
 コメントを見落とし、返事が大変遅くなり申し訳ございません。

私も下市生まれの下市育ちなので、東写真館、風ノ神はよく知っています。風ノ神は、今もありますが松の木は枯れたのではないですかね。

山都町郷土史伝承会 2025年02月13日 18時25分51秒
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Re:掲示板です。
昭和30年ころ浜町小学校に3年間ほど通っていました、記憶に残っているのは、京の上臈、五老が滝などに母と一緒に歩き回ったことです。下市のヒガシ写真館の近くに住んでいました、その家の裏山に風の神さんと呼んでいたところは今もあるのでしょうか?また下市あったオガライト工場の火災を鮮烈に覚えてます。11月に70年ぶりに伺う予定です。
福田栄二 Mail 2024年10月15日 10時44分21秒
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Re:掲示板です。
目丸の大多良村の由来について教えて下さい。
中村好太郎 Mail 2016年10月04日 05時52分12秒
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