井上清一先生は、生前岩尾城の復元を訴えていらっしゃいました。通潤橋に隣接する岩尾城を復元し、観光客の滞在時間を増やすことができます。何よりも、商店街に近いので町民の憩いの場となります。

 

  岩尾の城の城跡に

  轟川の川音に

  今も残れる先人の

  尊き技をしのびつつ

  吾れ等学友血は踊る

 

 と、岩尾城は旧浜町小学校校歌に歌われています。岩尾城は、以前は浜町小学校校区の子供達の遊び場でした。そして、桜の季節になると花見客で賑わい、城の入口の西木戸(山下さん宅の前)には花見客を相手に露天商さえ列んだことがあります。また、高校時代はアベックのデートコースで、ぼくはそのアベック達のために、まるでBGMを奏でるかのように本丸の木陰でよくギターを弾いたものです。

 

 史跡としての岩尾城は、

ⅰ 城郭は、石垣、瓦、礎石建物(織豊期城郭の三要素)を伴ない土づくりの城、すなわち「中世城郭」である。

ⅱ 阿蘇氏による築城(町史の築城年代から推測すれば阿蘇惟次)

ⅲ 築造年月日は15世紀中葉以降と推測されるが不明(町史では承元元年《1207》の頃とされている。)

ⅳ 少なくとも慶長10年(1605)頃には城郭として利用されていない(慶長肥後国絵図)」。

ⅴ 浜の館とセット関係

ⅵ 当時文字資料としては、天文2年(1552)「矢部惟豊岩尾城火事」と書かれた「八代日記」のみ。

ⅶ 町指定史跡(指定年月日昭和46年11月25日指定範囲不明)。

 

となっています。

2021年11月04日更新