昭和11年11月創立、ご祭神は、第16代矢部手永惣庄屋布田保之助惟暉命享和元年(1801)11月26日生、天保4年(1833)2月矢部手永の惣庄屋となり、嘉永7年(1854)閏7月29日通潤橋の通水管(吹上樋)1本のみ通水に成功。同年8月晦日通潤橋の渡り初め実施。文久元年(1861)に隠居、明治6年(1873)4月3日没。
 案外知られていないが、実は布田神社はここ以外にもう1箇所町内にある。島木の峰という集落の高台に祭られている。峰の布田神社のすぐ下には、通潤橋架橋2年前に完成した中島福良井手が通っている。これも布田翁が手掛けられた井手。
 2年前と言っても通潤橋架橋に1年8ヶ月を要しているので、中島福良井手が完成してすぐに通潤橋の工事に着手している。この間に、吹上樋の実験もしている。そればかりではない。布田翁は、他の井手や道路などの多くの工事も同時並行して行っている。まさしく神業。境内地内には、通潤橋架橋に関するいろんな記念碑が建立されているが、その多くが平成28年4月の熊本地震により倒壊した。布田神社
2017年06月28日更新