郷党歴代拾穂記の舞台となった矢部手永について、おさらいをしておきます。

一言で言えば矢部手永は、旧矢部町のほぼ全域と旧清和村のうち北半分に当たる範囲です。


 具体的地名を挙げれば、


浜村、浜町、下市、千滝、下馬尾、轟、桐原、梅木、杉、上司尾、寺川口、大野、片平、下大川、市原、長田、南田、山田、芦屋田(以上、後の浜町)

猿渡、三ケ、葛原、柚木、勢井、藤木、万坂、白小野、牧野、荒谷(以上、後の下矢部村)


中島、北中島、木鷺野、金内、田小野、原(以上、後の中島村)


名連石、上名連石、下名連石、黒木尾、川又(以上、後の名連川村)


津留、目丸、白石、犬飼、長野、小原、田吉、新藤、菅村、小ケ蔵(以上、後の白糸村)


尾野尻、小野尻、上田所、下田所、横野、成君、川内、上川井野、下川井野、男成、笹原、稲生原、畑、今村、入佐、山出、麻生(以上、後の御岳村)、


平野、大川、仁田尾、牛ケ瀬、鶴底、川口、井無田,高月、仏原、安方、郷野原

(以上、後の朝日村)の78か村

 

 文政9年(1826)の惣庄屋布田保之助の「矢部手永略手鑑」によれば、当時の矢部手永の戸数は3,115戸で人口は13,224人、牛5,007頭、馬4,712頭です。ちなみに、令和3年10月31日現在の山都町の住民登録世帯数は6,442戸で、人口は14,048人です。現在の山都町の場合は、矢部手永以外に菅尾手永の小峰地区と蘇陽地区とを含んでいます
2021年12月02日更新