寛延4年の項に次のような記述があります。

「正福寺観音堂ニ三十三躰ノ観音安置セシハ寛延四年ニテ浜町板屋弥吉寄進ナリ寛延ニ京都ヨリ下サレシ」

寛延4年(1751)に浜町板屋弥吉が、京都より下されし三十三体の観音を正福寺の観音堂に安置したことが記されています。

板屋は、横町の南角・以前宗家具店(現在駐車場)があったところで造酒屋を営んでいました。「板屋」と云うのは屋号で本名は「富田」です。ふれあいバスセンターの西隣に「西板屋」がありますが、あちらは本家の西に分家したので「西板屋」と云う屋号で同じ「富田」さんです。

 その板屋弥吉が観音さんを正福寺に寄進したと云うのです。これが、矢部三十三箇所霊場観音札所の始まりだとされています。

 よって、下馬尾の寿栄山正福寺が1番札所となっています。2番札所が下市の岩尾山妙景寺、3番札所が轟の妙宗寺以下最後の33番札所が金内の大通寺と矢部地区を覆っています。

江戸時代から、身近にフットパスがあったんですね。
2021年11月27日更新