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校歌について
 浜町小学校校歌
  
1 岩尾の城の城跡に
  轟川の川音に
  今も残れる先人の
  尊き技をしのびつつ
  吾れ等学友血は踊る

2 緑に包む山脈(やまなみ)や
  黄金(こがね)に満(みつる)田園の
  生ける姿に里人の
  励める姿を望みつつ
  吾れ等学友腕は鳴る
 
 ぼくの母校旧浜町小学校の校歌は山口白陽氏による作詞です。岩尾の城とは、通潤橋の北側に位置する岩尾城、通称「城山」のことです。今も残れる先人の尊き技とは「通潤橋」のことです。

 作詞も良いですが作曲も素晴らしいです。この詩を見ると今でもメロディーが聞こえて来そうです。

 旧浜町中学校の校歌も山口白陽氏による作詞です。
 
 浜町中学校校歌

1 雲白く山脈青く
  千滝は音もとどろに
  谷遠く川は光れり
  ここぞ矢部われらが郷土
  浜町中学
  さきがけて自ら学ぶ

2 石一つ一つの命
  通潤の橋を築きて
  大空に虹とかけたり
  ここぞ矢部われらが郷土
  浜町中学
  おしみなく勤しみ励む

3 霧ふかき丘の彼方に
  茶つみ唄声も明るく
  明け暮るる日々の豊けさ
  ここぞ矢部われらが郷土
  浜町中学
  肩くみて理想に進む
https://www.youtube.com/watch?v=7WEpEDSXJVk

 
残念ながらこの2校とも、小学校は矢部小学校に、中学校は矢部中学校に統合され、思い出深い校歌は無くなり、新しい校歌となりました。

我が母校で唯一矢部高校校歌だけは、今でも残って歌い続けられています。作詞は五高の八波教授で、作曲は熊師の末次教授です。
この校歌は1番は男子が歌い、2番は女子が歌う。そして3番を男女合唱で歌います。

1 阿蘇の噴煙遠方(おち)に見て、
  大矢の山や目丸山
  内大臣の名におえる
  端山繁山いと繁く
  山の気に触れ霊に触れ
  矢部高健児
  意気高し

2 布田の翁がその昔
  思念凝らせし石橋に
  水を通して民草を
  永遠(とわ)に潤し給いたる
  聖徳偉業これぞこれ
  矢部高女子の理想なる

3 見よや高原気は澄みて
  神霊こもる学びやに
  学理実習いそしみて
  至誠を神に誓ひつつ
  通潤魂を発揮して
  国利民福弥増さん

 さすが、通潤橋のある町ですね。小学校から高校まで、すべての校歌の歌詞に通潤橋が織り込まれています。学生時代は歌詞の意味は、ほとんどわからずに歌っていましたが、なかなか良い校歌ですね。

 特に、矢部高校校歌の3番の歌詞に「神霊こもる学びやに」とありますが、もちろんこの校歌は「浜の館」が発掘される前に作られたものなのに、なぜこんな歌詞を作詞できたのでしょうか?!
まるで「浜の館」が発掘されることを予言していたかのようです。

 もっともこの地には、発掘されるまでは「この場所には金の鶏が埋まっており、毎年、年の晩には鳴く」と云う伝承が伝わっていました。それが、いざ発掘したら金の鶏ではなく、鳥型三彩水注などの宝物が出てきた次第です。それも、発掘調査日の最終日にです。たいへんドラマチックな発掘でした。
田上 彰 Mail 2018年01月31日 08時57分26秒
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Re:校歌について
> 浜町小学校校歌
>   
> 1 岩尾の城の城跡に
>  轟川の川音に
>  今も残れる先人の
>  尊き技をしのびつつ
>  吾れ等学友血は踊る
>
>2 緑に包む山脈(やまなみ)や
>  黄金(こがね)に満(みつる)田園の
>  生ける姿に里人の
>  励める姿を望みつつ
>  吾れ等学友腕は鳴る
> 
>  ぼくの母校旧浜町小学校の校歌は山口白陽氏による作詞です。岩尾の城とは、通潤橋の北側に位置する岩尾城、通称「城山」のことです。今も残れる先人の尊き技とは「通潤橋」のことです。
>
> 作詞も良いですが作曲も素晴らしいです。この詩を見ると今でもメロディーが聞こえて来そうです。
>
> 旧浜町中学校の校歌も山口白陽氏による作詞です。
>  
>  浜町中学校校歌
>
>1 雲白く山脈青く
>  千滝は音もとどろに
>  谷遠く川は光れり
>  ここぞ矢部われらが郷土
>   浜町中学
>   さきがけて自ら学ぶ
>
>2 石一つ一つの命
>   通潤の橋を築きて
>  大空に虹とかけたり
>  ここぞ矢部われらが郷土
>   浜町中学
>   おしみなく勤しみ励む
>
>3 霧ふかき丘の彼方に
>  茶つみ唄声も明るく
>  明け暮るる日々の豊けさ
>  ここぞ矢部われらが郷土
>   浜町中学
>   肩くみて理想に進む
>https://www.youtube.com/watch?v=7WEpEDSXJVk
>
> 
> 残念ながらこの2校とも、小学校は矢部小学校に、中学校は矢部中学校に統合され、思い出深い校歌は無くなり、新しい校歌となりました。
>
>我が母校で唯一矢部高校校歌だけは、今でも残って歌い続けられています。作詞は五高の八波教授で、作曲は熊師の末次教授です。
>この校歌は1番は男子が歌い、2番は女子が歌う。そして3番を男女合唱で歌います。
>
>1 阿蘇の噴煙遠方(おち)に見て、
>   大矢の山や目丸山
>   内大臣の名におえる
>  端山繁山いと繁く
>  山の気に触れ霊に触れ
>  矢部高健児
>   意気高し
>
>2 布田の翁がその昔
>   思念凝らせし石橋に
>  水を通して民草を
>  永遠(とわ)に潤し給いたる
>  聖徳偉業これぞこれ
>  矢部高女子の理想なる
>
>3 見よや高原気は澄みて
>  神霊こもる学びやに
>  学理実習いそしみて
>  至誠を神に誓ひつつ
>  通潤魂を発揮して
>  国利民福弥増さん
>
> さすが、通潤橋のある町ですね。小学校から高校まで、すべての校歌の歌詞に通潤橋が織り込まれています。学生時代は歌詞の意味は、ほとんどわからずに歌っていましたが、なかなか良い校歌ですね。
>
> 特に、矢部高校校歌の3番の歌詞に「神霊こもる学びやに」とありますが、もちろんこの校歌は「浜の館」が発掘される前に作られたものなのに、なぜこんな歌詞を作詞できたのでしょうか?!
>まるで「浜の館」が発掘されることを予言していたかのようです。
>
> もっともこの地には、発掘されるまでは「この場所には金の鶏が埋まっており、毎年、年の晩には鳴く」と云う伝承が伝わっていました。それが、いざ発掘したら金の鶏ではなく、鳥型三彩水注などの宝物が出てきた次第です。それも、発掘調査日の最終日にです。たいへんドラマチックな発掘でした。
>
三校共私の母校です。
懐かしく、自慢の故郷です。
岡山に住む同級生が確認してきたので、紹介させて頂きました。
篤岡 小百合 Mail 2019年01月14日 22時30分26秒
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