新町の中央北側の丘の上に金比羅さんが祀られている。金比羅さんと云えば、海の神様。何で、こんな山地に海の神様である金比羅さんが祀られているのか。それには次のような訳がある。
今から遡ること265年前、第6代藩主の地位についた細川重賢は、後の世で云う「宝暦の改革」という藩政大改革を行った。特に、矢部地方に大きな影響を与えたのが、「地引合せ」と呼ばれた検地。これにより、太閤検地以来少しずつ増加した隠し田等がもれなく摘発され年貢の対象とされた。従来この隠し田からの収穫が百姓の余録となっていたものが根こそぎ摘発され百姓の生活は疲労した。それと連動して在町である浜町の購買力もたちまち低下した。
そこで、浜町の商人たちはときの惣庄屋間部忠兵公豊を中心に新しい産業の開発を行った。それが養蚕であり製糸業。これが成功し、下市に設けられた物産会所には常時商家の娘たちが2、30人ほど家内手工業の製糸を行っていたと伝えられる。
ここで生産された絹織物は、藩主から「丹後縞」と命名され、天明2年(1782)には、備前屋(野尻)清九郎が「十七反千俵積」の住吉丸という船を買い求め、これを「小一丸」と改名し矢部のこれら物産品を川尻の支店から船で京阪神方面に輸出した。
このように、貿易を行った関係で海の神様である金比羅さんが祀られることとなった。しかも、この金比羅さんが祀られている位置は、備前屋から見て北東の位置即ち丑寅鬼門の方向。昔から、鬼門から鬼が出入りすると云われている。この備前屋の鬼門の方向を守護しているのが金比羅さん。
先ほど、船の名前を「小一丸」と付けたと言ったが、この「小一丸」と云う船名は、「小一領神社」の社名から名付けられた。そこで、野尻清九郎はそのお礼に狛犬2体を大坂からはるばる取り寄せて小一領神社に奉納した。現在小一領神社の社前にある狛犬はその時の狛犬。「奉献寛政元年(1789)酉五月吉日 願主野尻清九郎」と彫ってある。
またここは、浜町の知られざる紅葉の名所でもある。紅葉の季節になると、まるで古都の雰囲気を醸し出す。
2018年03月26日更新