寛延二年の項に次のように書かれています。
「同年己巳秋瀬替古川辺ニ浜町造酒屋中ヨリ水車造ル 家上下二軒車二丁臼六上下ニテ拾二アリ酒米ヲ精ク昼夜及何石余大工浜町茂平次」
意訳すれば 寛延2年(1749)秋、城原字瀬貝古川町辺りに浜町造酒屋中より水車を造った。家は上下2軒に及び、水車は二丁、臼は6個で上下合計すると12個あり、酒米を精米し昼夜何石余りに及ぶ、大工は浜町茂平次である。
水道町のルイヴィトンから桐原へ下る道、日向往還沿いに数十年前まで水車がありました。井手さんという方が居たのでぼくらは「井手水車」と呼んでいました。その水車ができたのが寛延2年(1749)だと記されています。しかも、当時は水車が上下2基あったようです。この水車で浜町造酒屋中の酒米の精米を行った書いてあります。安永9年(1780)の記録に依れば当時浜町の造酒屋は7軒あったと云います。その7軒の酒米をこの水車2基で精米していたと云うことです。ちなみに、この水車を造った大工は浜町の茂平次だそうです。現在でも城山橋(通称赤橋)の右岸滝の上に水車への取水口が残っています。
2021年11月26日更新