矢部中学校の総合学習の為に次に担任の先生を案内したのは、「鎌差し参り」の舞台である相藤寺の町口神社です。この「鎌差し参り」については、確か教育委員会が編集した「矢部町の民話と伝説」にも登載されていないはずなのですが、先生はよくぞ見つけて来られました。愛藤寺城には,司祭館があり洗礼を受けた者が4000人を超えるとバチカンに報告されています。江戸時代に入ってからも矢部では,この愛藤城を中心に放射状に隠れキリシタンとして捕らえられた人がいますので,この地に隠れキリシタンがいてもおかしくありません。
「鎌差し参り」と云うのは、この隠れキリシタンにまつわる話しです。町口神社には,その横に,長尾豊前守善政のお墓とがあります。善政は,小西行長が関ヶ原の戦いで滅んだ後に愛藤寺城を受け継いだ加藤清正の家臣です。善政の命日は5月2日なのに,村の人達は毎年12月25日頃に墓前祭を行います。それも,わざと野良着を着て、縄の帯をして、背中に鎌を差します。そうすると、背中に十字架を背負ったような格好になるのです。善政の墓になっている塚の頂上には宝筐印塔があります。その塔を持ち上げるとその下に正しく愛藤寺城の方に向けて十字架が刻んであります。村の人達は,善政のお墓に参るような格好をして、実はキリシタン信仰のお参りの場所にし,何か唱え言葉を唱えていたらしいけど、今はそれも伝わってはおりません。ここで隠れ参りをする人達が,村の誰々かということも分かっておりません。
ここでも先生は,興奮気味に写真を何枚も撮られていらっしゃいました。当初,会議があるので廻れる時間は2時間だと聞いていたので,今回はここで切り上げようとしましたが,先生はぜひ京の上﨟にも行きたいとおっしゃるので,時間を気にしながら案内しました。ここでも先生は,立ち並ぶ奇岩に驚きの様子でした。「京の上﨟伝説」については,多くの人がご存じだと思いますので,ここでは説明を省かせていただきます。
さて,現地を案内し終えたぼくは,もう話すこともありません。次回の授業では,何をすれば良いのでしょうかね。
2021年12月24日更新