ぼくは、毎年矢部中学校の総合学習の時間に郷土の歴史などを生徒たちに話させていただいています。数年前は、民話の話をしてほしいとの依頼がありました。民話の話って,いったい何を話せばいいのかぼくには見当がつきませんでした。そこで、先生に尋ねました。
「どんな話をすればいいんですか?」 。
先生曰く「生徒が, 3つのグループに分かれ、 『武左殿(ぶじゃどん)と角盤』、『鎌差し参り
』 、『京の上﨟伝説』を、それぞれのグループで研究しています。よって、この3つの民話についてお話ししていただきたい。」とのことです。
『京の上﨟伝説』は,ご存じの方も多いけど、『武左(ぶじゃ)どんと角盤』、『鎌差し参り
』 については、町内の大人でも知らない人や多いのではないでしょうか?しかも先生は,事前学習として山都町の図書館はもちろんのこと、お住まいの益城町の図書館でもお調べになられていました。早い話が、文字で書かれた資料は、ほとんど集めていらっしゃいました。なのに,何をぼくに話をしてくれとおっしゃるのか重ねてたずねました。
先生は、こう答えられました。 「それが、調べるには調べたんですが、あまり資料がないのです。」確かに、民話自体は教育委員会などで編集したものがありますが、その背景となったものまでは、なかなか資料がありません。幸いにも、上に挙げられた3つの民話は、いずれも現地が残っています。何はともあれ現地を見てもらうのが1番だと思い先生を現地へ案内しました。
まずは、『武左殿(ぶじゃどん)と角盤』の舞台となった田所の戸屋野へと先生を案内しました。武左殿(ぶじゃどん)こと日本一の大男・大空武左門が生まれ育ち今も眠る地です。大空武左衛門は,寛政8年(1796)に,ここ田所戸屋野で生まれ,身長7尺5寸(227㎝),体重35貫(131㎏),掌長1尺2寸(36㎝)で一日に食べる米が1升7合余と云う巨体の持ち主でした。ときの藩主細川斉護公の目にとまり,藩主に連れられ江戸にのぼり江戸相撲の看板力士となりました。武左衛門と,ときを同じくして山田には覚助という身長は4尺3寸(1.3m)と小さいですが,肩幅は3尺(90㎝)と云う珍しい身体を持った力持ちがいました。身体が四角で手足が短いので,まるで碁盤のような姿だったので四股名(しこな)を角盤と称しました。
この大空武左衛門と角盤との力くらべが民話として伝えられているのです。しかも、角盤が武左衛門の留守のときに訪ね、来た印としてお宮の社殿の向きを変えたのを村の人たちが総出で半日も掛かって元の向きに変えたと云われる天神社が今もその地にあります。また,戸屋野からの帰りにこれまた角盤が悪戯心を起こして,五老ケ滝入り口付近にある六地蔵の笠石(重さ約30貫《112㎏》)を降ろしているときに手がすべって笠石を落とし,その隅を欠いたと云われるその笠の隅が一部欠けた六地蔵が今もその地に立っています。さらに戸屋野には,武左衛門の等身大と云われる墓石も建てられ,武左衛門はこの地に眠っています。
民話に伝わる武左衛門にまつわるいろいろな地を案内したところ,先生はどれを見ても少女の如く「きゃー本当にあるんだ!」と驚きを隠さず、案内するぼくも嬉しくなりました。
2021年12月23日更新