永青文庫の「町在」という古文書は、江戸時代の熊本藩領の住民、数万人の褒賞記録です。矢部手永関係者だけでも432件にも及んでいると云います。

 

 たとえば寛政11923 日,延寿桜で有名な矢部手永原村郡代直触原住桂七さんが寸志銭15貫目差出しにて独礼に仰付けられ桜御紋付時服を褒美として貰われています。

 

  嘉永元年1025日には,保之助さんのお父さん市平次さんが切腹して果てた宿主である矢部手永北中嶋村一領一疋江藤烈太左衛門さんが武芸多年出精等にて賞美を受けています。

 

 安政5410日には,保之助さんが、母存生中格別孝行にて賞美として桜御紋付上下一具をいただいています。

 

「中でも南手新井手の功績は普通ではない通潤橋と導水管の工事(吹上樋之御普請筋) は、実に数年の間粉骨砕心といういべき」。矢部手永の惣庄屋、布田保之助さんが藩から褒賞を受けた際の調書の一節です。

 

 通潤橋工事関係の人々も藩から表彰されています。そのなかで,新藤村庄屋岩崎清蔵さんについては,矢部の「村々気質」で「新藤御紋付」と称されています。これは,通潤橋建設の功により藩より紋付きを拝領した岩崎さんが,村内の若者の結婚式には必ずこの御紋付き着せて激励したことから,このように伝えられています。頂いたご褒美を我が家だけの宝にするのではなく,このように地域の人材育成に活かすなんて偉いですね。

2021年12月21日更新