〇 (明和四)同年丁亥七月十六日当夏依洪水田方虫付ス、依之襪ノ御守御国中指廻サル、男成伊与 三太夫 甚太夫 多門ヲ召連、北中島村庄屋方ニ一宿而翌廿七日木倉田代ノ宮ニテ請取御守一箱矢部ヨリノ役人ハ高森茂理平 会所设人 和三 小頭 喜右衛門等也、十七日晚浜町小一領社止宿、然而矢部中巡行アリ、廿四日男成社止宿、翌廿五日於万坂山宮渡ス砥用手永 矢部ヨリ男成伊与 冬野出雲 一角多門兵馬 御家人ハ渡邊求平
富田新次郎 会所役人 和三 小頭 喜右衛門 砥用ヨリ請取ニ 緒方美作 御家人菅野三右衛門 高木与左衛門 其外手永小頭来ル
明和4年丁亥(ひのとい)6月16日当夏洪水によって田方に虫が付ついた。よってこれの襪(くつした?)の御守りが国中に差しまわされた。男成伊与 三太夫 甚太夫 多門を召し連れ、北中島村庄屋方に一泊して翌27日に木倉田代ノ宮にて御守一箱を受け取り、矢部よりの役人は高森茂理平 会所设人 和三 小頭 喜右衛門等也、十七日の晚に浜町小一領社に泊まり、そして矢部中巡行した。24日男成社に泊まり、翌25日に万坂の山宮に於いて砥用手永に渡す。矢部より男成伊与 冬野出雲 一角多門兵馬 御家人は渡邊求平
富田新次郎 会所役人 和三 小頭 喜右衛門 砥用より請取に 緒方美作 御家人菅野三右衛門 高木与左衛門 その他手永小頭らが来た。
水害により稲穂に虫が付いたと見え、その御守りが藩内に配られたようですね。
襪の御守と云うのがどういうものかよく分かりません。
2021年12月18日更新