この回の井上清一先生の連載は、保存されるのを忘れられたのか飛んでいます。おそらくこの回で紹介されたであろうは「浜町橋」だと思います。

 

 その前に、正福寺の境内にある矢部勘右衛門重元の墓を先生に代わり紹介します。

前回紹介した元十一面観世音が祀られていた龍神堂と芭蕉塚の間に第5代矢部惣庄屋矢部勘右衛門重元の墓があります。塔身中央に「正福院宗立日持居士」右に「享保十乙巳年(1725)」、左に「夏六月十一日」と刻銘があります。

「矢部町史」には次のように記されています。

 

 矢部勘右衛門重元は、正福寺、吉祥寺、西安寺を建てたり、 水道町から旧会所に通ずある元禄井手をつくったり、入佐の今古閑の水路をつくり新田を拓き、地域の産業開発に努めた。 また郡内においても、金山、鉄山を発見したり、熊本浜町間の道路の沿線左右 12 キロに松を植えた。職にあること14年、元禄7(1694) 嫡子に職を譲り、名も古閑長左衛門と改め、瀬貝、現在の役場附近に隠居した。しかし再び善政が認められて、肥後藩御山総目付役を拝命、肥後藩の林業振興に貢献した人である。

 

 さて「浜町橋」は、矢部地域内では聖橋に次いで二番目に架橋された石橋です。天保4(1838)矢部惣庄屋布田保之助の時に架橋されたものです。石工は八代郡野津手永の岩永三五郎で、頭百姓元恵門、役頭祐助、庄屋三郎助、定詰小頭井手孫右衛門、根受美濃部勝右衛門です。この橋は、その後の交通量の増加によって、 大正年代と昭和37年、平成9年の拡幅工事で現在の幅員になっています。橋の長さ 14.4m、高さ 6.46m、 幅 3.6m、 スパン 12.6mです。

2024年02月04日更新