塩井手の大けやきの下にお堂がある。これは矢部三十三ヶ所第一番札所で、本尊は十一面観世音、脇侍は不動明王と多聞天である。室町時代中期の作と推定せられる。
御詠歌一番
御山より湧きてながる、清水川
水をむすびて身は清められ
鈴の音も清く観音と同行二人、巡礼する人も今は少ない。 この観音堂の表にかけた板碑(石碑の一番古い形式)がある。
表に 芭蕉庵桃青翁之塚
裏に 文化三年丙寅三月立之、獅子門下、松樹連中
と刻まれてある。芭蕉翁が元禄7年10月12日大阪で死んでから、文化3年は112年目に当る。文化3年頃といえば異国船しきりに辺境を侵し尊王攘夷の声高く、物情騒然たる時であった。丁度この頃芭蕉翁の百十年忌をして句会を行い供養碑を建てた事は浜町文化史上に特筆すべき事である。この板碑は町としても保存しなければならないものであるが、残念な事にはこの板碑を建てた人達の名が詳かでない。
寺は寿永山正福寺である。日蓮宗熊本本妙寺の末寺である。本尊釈迦牟尼佛、元天台宗の古刹であるが開基年代等不明である。一説には、天和2年時の矢部郷惣庄屋矢部勘右衛門の創立とも伝えられ、又一説には天和2年9月恵姓院日明上人の創立とも伝えられる。
塩井手の大ケヤキに次いで先生は、正福寺の境内について紹介されています。
正福寺というのは、浜町橋のたもとにある日蓮宗のお寺ですね。現在は日蓮宗ですが、先生の説明にもありますように以前は天台宗でした。その天台宗のお寺の附属施設としてあったのが山都テラスの裏にある古代石風呂です。
さて、その正福寺ですが、入口に山門があり、その左には「南無妙法蓮華、日蓮大聖人降誕750年記念碑」と刻まれた石碑が建っています。石工は上川井野の山下學さんです。
井上先生の文章を読んで違和感を感じたのですが、先生は「塩井手の大けやきの下にお堂がある。これは矢部三十三ヶ所第一番札所で、本尊は十一面観世音、脇侍は不動明王と多聞天である。」と記されています。そのお堂は、現在「龍神堂」と称し、その中には十一面観世音などはありません。調べて見たところ、十一面観世音などは本堂に移されています。これは、盗難の恐れがあるので,先生がこの投稿をされた2年後の昭和27年に本堂に移され安置されました。
2024年02月03日更新