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穴の口隧道堀削道誌
 立田幸広さん宅に隣接する菅原神社に次のような内容が記載された額が掲げられています。

  穴の口隧道堀削道誌

黒原村中程と犬渕を結ぶ中間穴の口道は現況から想像がつくように火伏堂跡の岩石が大きく川に突き出していたので人は川辺に添って岩原を通るホンの徒歩道であった
一歩誤れば川に落ち込む危険道で牛馬は中程の渡瀨を探し又は犬渕堰梁等を往来したのである
増水時は人は火伏堂跡を山越し牛馬は拝所の四叉路に廻った
それは人や村が始まって以来長い間のことであった
この危険な不便道をこの儘捨ておくものかと一掃すべく奮起されたのが當時の黒原村全十一戸の先人方であった
明治三十八年春を待たず正月から休日祭日を返上農閑期を有為に利用して工事に専念されたのである
丁度我国は興亡を賭ける日露大戰争のさ中にもかかわらずよくも決意されたものである
しかし現今のように機械化された時代と雲泥の相違で無細工な鶴嘴と鍬、畚で外には何一ツの道具もなかった
而し先人方が人のため村のため後世の為にと強い団結と努力の結果堀削道幅四尺五寸長サ十五間、隧道髙サ五尺幅四尺五寸、長サ十五間延長三十間に及ぶ大工事は翌三十九年春四月見事貫通完成を見たのである
執念岩をも貫くことを如実に物語るもである
この時の先人方の昇天の歓びはいかばかりかと察するに余りあり手を取り合って万歳万歳と天にも届かんばかり髙らかに歓声を続けられたことであろう
これを記念して隧道口に記念碑を建らる 
今以ってここを穴の口と呼ぶここで附記すべきは現在と違い国、縣、町村の補助金、助成金等一切なく諸経費、夫役総て地元負擔の單独工事である
僅か十一戸の工事としては想像以上無理な大事業であった先人方の汗血の苦難察するに到底文言に表すことを得す我等今に至るもこの恩惠に浴す村人よ先人方のご苦労を偲び大事業を讃へその大遺業に感謝し報恩の念忘れることなく後世に永く傳へるべきであろう
昭和五十五年三月(西暦一九八〇年)
       謹書 満藏
記念碑は六十一年間穴の口にあったが昭和四十年部落道改修時公民館の傍に移す裏面に碑文年次戸主名あり
田上 彰 URL Mail 2015年03月04日 08時55分12秒
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