(前回より続く)

 次に向かった先は法上寺です。法上寺というのは,昔あった寺の名前であると共に現在の宮本敬司さん宅の屋号でもあります。その法上寺の仏像を宮本さん宅で拝観させて頂きました。寺は,小西行長の家臣である愛藤寺城主結城弥平治によって焼き討ちされたという言い伝えが遺っています。

 宮本さん宅前の田の畦には,板碑も遺っています。その板碑には,碑面中央上部に阿弥陀三尊の種子(しゅじ)があります。阿弥陀三尊とは,阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩のことです。

 種子(しゅじ)とは密教において、仏尊を象徴する一音節の呪文(真言)のことです。そして板碑には,中央に「逆修善功徳主」,その右には「当寺為恵二升蒔,十貫文代官井芹蔵人助秀宣戒名道盛,道盛信男」,左には「妙昌信女,為現世安穏後世善処,天文十八歳己二月吉日,妙昌信女敬白」と刻んであります。

 入佐風土記には,「代官井芹蔵人助秀宣とその妻であろう妙昌が,死後に極楽浄土に往生できるよう生前に寺のために水田に二升の種をまき,金十貫文を喜捨する善行を積みその功徳を願ったもの」とその文意が記されています。

 ときは,戦国時代で,いつ死ぬか分からない不安定な時代です。そのためにあらかじめ生前に,自分の死後の冥福を祈るため石塔を建てる。これを逆修塔と呼んでいます。山都町内には,このような逆修塔が数多く遺っています。

(次回へ続く)

2021年09月22日更新