恵良惟澄に関して、山都町郷土史伝承会の会員から面白い物を見せていただきました。

 

 そのなかで,興味深かったのが江良家の家系図等です。それには,豊後の院内(宇佐市)の江良家や阿蘇家の恵良,そして筑後の星野村の恵良についても触れてあります。院内の江良家は「恵良」で無く,あえて「江良」の漢字を使用しているそうです。

 

 ネットで見ると,恵良の発祥地は現大分県中南部である豊後国玖珠郡恵良村(九重町)だそうです。宇佐市のほか筑後の星野村(八女市)や阿蘇に恵良の名前が多く残っていると云います。

 

 宇佐市,八女市と云えば,何か思い出しませんか?

「ヤベ」の地名の由来の一つにこんなのがありましたよね。

 

 日本書紀の景行天皇の12年の件りに、当時九州以北で朝廷の命令に背いて従わなかった豪族達が次のように四つ上げられます。

 一つ目の「鼻垂(はなたり)」は豊後の国兎狭川の上流に住み、ここには「矢部」という地名が付いています。

 二つ目の「耳垂(みみたり)」は筑後の国御木川上流で、ここには矢部川があり矢部村があり矢部峠もあります。

 三つ目の「麻剥(あさはぎ)」は高羽川上流で,福岡県田川市です。

 そして、四つ目が「土折(つちおり)・猪折(いおり)」で肥後の国緑野川上に住みその沿線には矢部があります。

 

 すなわち,一つ目の鼻垂は現在の宇佐市,二つ目の耳垂は現在の八女市,そして四つ目の土折・猪折は現在の山都町です。これって,「恵良」とシンクロしていませんか?

2021年09月29日更新