片平のカットクラブ城と片山スポーツ店との間の道を北へ進むと道路沿い右上に「せんだい地蔵」と4基の板碑があります。ここの地蔵は高さ1メートルを超える大きな地蔵です。左手に宝珠を持っています。肉眼では読めませんが、郷土史研究家の倉岡良友先生の調査によれば後背表面上部には、「忠光院殿 (地蔵) 光厳寺口」と刻印されているそうです(なお、以下も肉眼で文字が読めないところは倉岡先生の調査に基づくものから引用させていただいています)。「忠光院殿」と云えば「阿蘇惟忠」のことです。前回紹介しました慶(華)蔵寺墓地のなかに阿蘇惟忠の墓があります。また、片平の集落内にある光厳寺と云う観音堂があります。後背の裏面には、「円相の下に平等 天文17年(1548)口位口月日 利益」と刻印されているそうです。なお、口は判読できない文字を表しています。このことからして、この地蔵が天文17年に建立されことがわかります。当時の阿蘇大宮司は阿蘇惟豊で惟忠の孫に当たります。よって、このせんだい地蔵は惟豊が祖父惟忠の追善供養のために建立したもので、「せんだい」とは「先々代」のこどてはないかと云われています。

 

次に板碑についてですが、向かって右端の板碑(写真A)には、円相にキリーク(阿弥陀如来)、下段左右にサク(観音菩薩)とサ(勢至菩薩)を配した阿弥陀三尊、そして中央に「奉読誦大乗妙典壱千部入塔」、右側には「天文十五丙午年(1546)」、左側に「妙西」とあります。

 

次の板碑は、円相にキリークの種子、中央に「阿弥陀仏」、右に「花散霊口、天文18年己酉年」、左「六月廾四日」と刻字。

 

次の板碑は、円相にタラーク(虚空菩薩)の種子、中央に「誦法華妙典三千部口口」、右に「口月」、左に「髙道、天文十八年己酉(1549八月日)」と刻字

 

次の板碑は、円相にア(多宝)の種子、下段に「逆修」、中央に「奉読誦大乗妙典壱千部」と刻字。

2021年10月13日更新