(前回より続く)

 大宮司阿蘇惟豊公には、先の大宮司で惟長公と言うお兄さんが居ました。惟長公は、大宮司職を弟の惟豊公に譲り守護職として菊地家に養子に行きました。ところが、なかなか自分の思い通りにならなく数年後菊地家から矢部へ逃げ帰りました。

 

 しかし、帰って来たものの自分の居る場所がないので、薩摩の支援を受け「浜の館」を襲って惟豊公を追い出しました。惟豊公は、日向の鞍岡に逃げ、土地の豪族であった甲斐氏に助けられ、「浜の館」を惟長公より取り戻しました。そして惟長公は、惟豊公に追われ鹿児島に逃げ延びましたが、もう一度矢部に帰りたいという願望があったようです。

 

 惟長公には、子の惟前(これさき)公や孫の惟賢(これかた)公がいますが、薩摩の勢力と阿蘇家の勢力を一緒にして、何とか矢部に帰りたい、その手掛かりを得たいというので、抱き込まれたのが御船房行のようです。房行の心は、だんだん薩摩の方に傾き、そのうちにそういう風評が矢部に伝わって来ます。

(次回へ続く)

2021年11月12日更新