(前回から続く)


 

  本堂に向かって右、庫裏の前に祠があります。私は石像に触れていませんが、郷土史研究家の倉岡良友先生の調査によれば、その石像の裏に「三宝荒神 元禄五壬申三月吉日 法光院」と刻まれているそうです。

 

  デジタル大辞泉では、「三宝荒神とは、仏・法・僧の三宝を守護するという神で三面六臂(ろっぴ)で、怒りの形相を示す。不浄を忌み、火を好むというところから、近世 以降、かまどの神として祭ると」解説しています。

 

  このシリーズの第1回の時に紹介しました福王寺に所属した「一」と呼ばれた琵琶法師の人々たちは、各家庭のかまどを祓い清めこの荒神さんをお祀りしたのですね。

 

  次に本堂の前に手荒い石があります。正面に横書きで「征露紀念」と刻み、奉納者の人々の氏名が刻まれています。末尾には、明治三十九年四月とあります。日本は、明治37年2月にロシアに宣戦布告し、翌38年9月にポーツマス条約により講和しました。この手洗い石は戦勝記念に奉納されたもののようです。

 

(次回へ続く)

 

2021年10月07日更新