2018年4月5日  18時0分 ~ 18時30分

  文化14年(1817)藩主斉茲公が矢部巡視の際原村の有志である原住桂七の家で休息された時、付近に咲いていた桜を、自ら採り「投入」された。後で桂七がその桜を庭に挿木したところ活着して成長し、6年後の文政5年(1822)春、斉茲公が再び矢部巡視のおり、立ち寄られた時見事に咲いていた。この由を申し上げたところ、大変よろこばれて「延寿桜」と名付けられた。この桜は彼岸桜の八重咲である。現在のものは老木となって、枯れた株からの芽子生が、成長したものである(矢部町史より)。