渡辺質著の「矢部風土記」には、矢村社の由緒について次のように書かれています。

 

 下大川村にあり寛弘三年(1006)勧請、阿蘇より新城地をトせらるるに天に誓ひ空に向ひて白羽矢、手を放ち給ふに不思議なるかな、其鷺のことくにして大矢越を見て矢越の山と号し、浜の北に落集し、是を祭り矢群大明神と尊敬す。其社の上に古城あり、城の平という。社地は浜館の岡なり。

 

 「矢部町史」には、次のように書かれています。

 

 本社は寛弘三年の創立である。阿蘇氏がこの地に築城の際、築城すべき地を占うため、矢を放ったその白羽の矢が、この地に止ったので居館を定めたが、土地が狭かったので、岩尾に城を築いた。そして白羽の矢の止ったところに社を建て、矢村大明神と号し、阿蘇家の守護神、弓矢の神として尊崇された。

 

 平成18年(2006)に創建1000年を向かえた神社です。ご祭神は、健磐龍命(神武天皇の孫)、比咩神(同夫人)、国龍神(神武天皇の子・健磐龍命の叔父・比咩神の父)、新彦神(国龍命の子)、比咩御子神(国龍神の夫人)、彦御子神(健磐龍命の孫・速瓶玉神の子)、若比咩神(彦御子神夫人)、新比咩(新彦命の子)とされています。

 

 拝殿右側には猿田彦塔が2基建っています。内1基には、日輪と月輪とが描かれています。天保4年(1833)に建立されたものです。

2021年10月17日更新