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新四国・高月八十八ケ所の由来について
 これについて、昭和50年3月20日発行の「広報清和」で、郷野原の藤島今朝年さんが、当時御堂のお世話をされていた田上茂さんから聞いた話しとして紹介されています。以下、上記「広報清和」から要約し引用します。

 高月部落には、88体の地蔵尊像が部落一帯に祀られていますが、建立されたのは明治23年7月21日のことだそうです。

 田上茂さんの曾祖父に当たる田上辰治さんが中心となり、田上富三郎、田上万太郞、岩本孫十及び田上半平の5名が願主となって部落全域に亘って5つの堂と、道路の三叉路、または道路の上や崖下などに安置しました。

 その動機と思われるのは、建立前に高月の人と四国高野山の坊さんらと何らかの交流があったようです。元出羽国秋田の住人で海野勝三郎幸昌という云う坊さんが、高野山奥の院から派遣されて薩摩に行く途中、田上辰治さん宅に立ち寄り2泊しました。その際に坊さんは、「弘法大師宝亀和讃」と云うお経の写しを作成し、これを残して弘法大師の信仰を勧めたそうです。

 そこで、田上辰治さんら願主となって造った88体の石像に海野と云う坊さんが入魂し、その後に部落全域に配祀したと伝えられています。

 全88体は一斉に毎年3月21日、7月21日の2回を祭礼日と定め参詣者に茶菓並びにおにぎりなどの接待と共に、第1番札所の立空では新四国高月八十八ヶ所の刻印のある弘法大師の立像と座像の2種類の版画像札が配られ、戦前は部落民はもとより近郷よりの参詣者も多かったそうです。
田上 彰 URL Mail 2017年05月05日 09時56分15秒
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