図1図2 図3



 国民宿舎の下段の駐車場前に県道を挟んで観音堂と天満宮社とが並んで建っています。西海寺(高村さんところのお寺)の前といった方がわかりやすいですかね。何れも、県道とは反対側の南向き、内大臣側を向いて建っています。よって、昔は観音堂の下の道が幹線道路だったことが分かります。また、この道が最初に紹介しました小原入口のお地蔵さんの前に繋がることも容易に想像できます。

 正面向かって、右が天満宮社で左が観音堂です。ここの観音さんは、寛文9年(1669)の「国郡一統志」に記された古い観音です。中には、木造聖観音菩薩立像が安置されています。古い割には色彩が新しいので、近年彩色されたものだと思われます。

 観音堂の前には、ここが矢部三十三ケ所霊場観音札所のうちの23番札所であることが表示されています。そして、

  皆神は いず
なるらん 白浪の 小原の堂に ひびく滝つせ

と書かれたご歌が目に止まりました。

 観音信仰は,

 「観音菩薩は、諸菩薩の中で最も衆人に親しまれた救世護身の菩薩で、一般には出生、救苦、延命、興楽の仏といわれています。観音信仰は、飛鳥時代からはじまり、平安時代に盛んに行われました。観音が33の化身を有して、信仰者のために随所に出現して、救いをされるという点が最も魅力があるところです。矢部町では、鎌倉時代から盛んになり、江戸時代なって、民間信仰にともない観音33か所の霊場が出来るようになりました。正福寺の一番札所(霊場)が、寛延4年(1750)に板屋弥吉が寄進したと言われていますので、その後順次建立されたものでしょう。私達の先輩が、巡礼姿で振鈴を持ち、いろいろ願いをこめて参拝されてゆく姿を想い浮かべながら、各霊場(札所)を訪れるのも興味深いものです。」


2018年05月08日更新