(前回より続く)

1.蘇陽町

 昭和2年8月6日東京帝国大学教授田村剛博士が五ヶ瀬川上流の渓谷調査を行い、「耶馬溪にも勝る」と絶賛し県へ報告しました。同年8月25日当時の斎藤宗宣県知事が、同地を訪れ、大阿蘇の南部に当たる故「蘇陽峡」とこの地を命名しました。この「蘇陽峡」にちなんで町名を「蘇陽町」に決定しました。

 

(1)馬見原について

 蘇陽地区の中心・馬見原は、古くは「まめはら」とも称しました。この地方は馬が多く、小高い丘に登って下方を見ると必ず馬が見えたからだとと言います。江戸時代に馬見原は,三田井,高千穂,椎葉方面への産物の輸送拠点でした。これを「馬見原駄賃」と称していました。明治24年の見原の馬の数は2,898頭で熊本県で第1位 でした。ちなみに当時の馬見原町の人口は、1,874人で、まさしく人間より馬の方が多かったのです。 

(次回へ続く)

2021年09月02日更新