平成17年2月11日に矢部町、清和村そして蘇陽町とが合併して「山都町」が誕生しました。矢部町と清和村の一部(旧朝日村)は、江戸時代に上益城郡矢部手永に属していました。蘇陽町と清和村の一部(旧小峰村)は、江戸時代は阿蘇郡菅尾手永に属していました。後に小峰村は、上益城郡となり朝日村と合併し清和村となりました。

 

 山都町は、「やまとまち」ではなく「やまとちょう」です。 熊本県下では、あさぎり町、氷川町と共に「まち」ではなく「ちょう」と読む数少ない町だそうです。

 

 この「山都町」の町名は、公募によって命名されました。応募の理由は、「山の都」として栄えるように。山を三と読替え、三町村が栄えるという意味も含んでいます。大和朝廷の「やまと」と同じ響きです。それでは、合併前のそれぞれの町村名の由来は何でしょう(次回へ続く)。

2021年09月02日更新