図2

  通潤橋を流れる水路のことを上井手(うわいで)と呼んでいる。一方、通潤橋上流右岸から取水して台地の谷を走る水路のことを下井手(したいで)と呼んでいる。上井手は白糸台地の尾根沿いを走り、上井手から分水された用水は、沢ごとに棚田に注ぎ、田越しに次の田に流れ落ち、下井手と合流し、さらにその下流の田を潤している。

 しかも、途中の棚田は、ため池の役割も果たしている。すなわち、下流になればその分だけ水量が少なくなるにもかかわらず、この通潤用水の配水システムは、下流であってもできるだけ同じ水量が得られるような工夫がなされている。下井手は、上井手が棚田を潤した後の余り水を受け止めさらに下流の棚田を潤す。一滴の水も無駄にはしないとの布田翁の思いが見事に表された配水システムだ。

  また、水路には80箇所の隧道があり、隧道の中の土砂堆積を予防するために、隧道入り口の水路幅を狭くして水圧を上げる工夫がなされ、要所には、大雨等によりオーバーフローした余水を排水するために「磧切戸水吐所」いわゆる余水吐けが設けられ、これにより水路自体の擁護が図られている。

  さらに、一般の水路の場合は、上流に位置する耕作地が先に取水するため、下流に位置する耕作地は、おのずから用水が足りなくなる。しかし、通潤用水の場合は、用水不足となる危険がある場合は、昼夜引きと称して下流まで用水が平等に行きわたるよう地区を定め半日におきに配水している。

  一方、分水箱による公平性も見事なものだ。呑口の大きさが開田面積に比例して定められている。この平等性と公平性との調和が設備などのハード面だけではなく、布田翁時代から守られてきた規約に見られるソフト面にまで反映しているところが通潤用水のすばらしさだと思う。160年以上にも亘り、守られてきたところのこの規約は、共同体意識の象徴だと思う。




2018年02月09日更新