数年前、見知らぬ女性の方から、「甲佐町の本家正面にも小一領神社があります。 山都町の小一領神社と歴史的な繋がりがあるならば、 ご存知の範囲内で教えて戴けませんか。」とのメールが届きました。

 

 甲佐町にも小一領神社があるなんて、初めて聞きましたので甲佐町のどこにその神社があるのかをたずねたところ田口だそうです。早速、GoogleEarthで探したところ、教えて頂いた当たりに神社らしき建物が写っています。さらに、ネットで検索してみたところ、田口には田口菅原神社はあるものの小一領神社なる社名は見当たりません。

 

 さらに調べてみたら熊本国府高等学校PC同好会が作成した「熊本歴史・人物散歩道」と云うページのなかの「小さな集落の歴史」というコーナーで下田口の小市郎神社の紹介がなされているのを見つけました。以下、これを引用します。

 

 下田口の区民に代々引き継がれている小市郎神社は、俗称「小市郎さん」と言って区民に親しまれています。祭神は小市郎大納言藤原経家を祭ると言われていますが、一説では鎮西八郎為朝が益城郡萬所を甲佐郷に押領されて退去される時、長子の小一郎に対し、「おまえに与えるものは何もないが、この鎧一領を私の形見として与える」と言って、鎧一領を譲り与えられたと伝えられ、その名前にちなんで小一郎とも、また「これ一領」が訛って小市郎となったとも伝えられています。

 

 小市郎神社は田地13アールほど所有しておられ、12月10日の例祭日には5つの小組合毎に区民総出の親睦会を実施して豊作を祝うとともに、交友を深めてきました。その伝統は現在も続き、小市郎神社の恩恵に感謝しています。しかし、昭和54年、下田口地区の甫場整備に伴い、神社所有の水田は処分されました。(引用終わり)

 

 場所からしても、この神社のことにほぼ間違いありません。小一領神社でなく、小市郎神社だったのですね。でも、神社の由緒が鎧に関わるところなんてよく似てますよね。(次回へ続く)

2021年11月09日更新