(前回より続く)

 福王寺の棟板には、座頭の名前の他に、小椋吉松、小椋万吉、小椋佐吉、小椋平吉と云った小椋姓の人々の名前が記載されています。これらは木地師で、菅、目丸の人たちだそうです。私も以前、木地師研究者の杉本壽先生の著書の中で目丸地区の木地師の名前を見たことがあります。

 

 そのほかには、白谷の冬野相模、新町の男成上総、幣立の春木常陸、春木文太、七滝の中内出雲、甲佐の中村近江、男成の飯星次太夫(当時の男成神社の神主)、川内の龍三太夫、入佐の吉永清太夫、田中一角、鶴底の岩下茂太夫、上大川の渡邊万太夫、下大川の宮崎藤太夫、柚木の丸山京兵衛。こういった神主の名前も記載されています。

 

 何で、神主の名前が書いてあるかというと師匠の説明によると、当時これら神主の人たちも福王寺の門徒だったらしいのです。阿蘇神社の大宮司でさえ天台宗の西巌殿寺の門徒ですからね。当時は、神仏混合で神社とお寺とは仲が良かったのですね。
(次回へ続く)
2021年10月03日更新