(前回より続く)


  旧暦1月11日,大人が手伝って,その家の男児(15歳以下)の数の真竹を切って来て,竹槍(鹿砦(ろくさい)に使うさかもぎ風に作って)にし,各戸の庭先に立てます。これを「たたき竿」と言います。各戸から2駄(12把)宛の薪を集めて木曽川の両岸に上下組それぞれ山のように積みます。

 

 木曽川からそれぞれ100mほど隔てた地点を陣地の線とし,ここに藁を以て仮小屋をかけます。その前に大きい「見せ竿」とを無数に並べて威勢を添えます。どんどや行事の中心は15歳以下の男児ですが,戦闘には男は全て、青年も成年も老年も加わり熱狂します。女達も家をあけて息子の見物に出かけました。

 

  14日の昼下りになると、男児のいる家では出立をします。御神酒を頂かせ供膳し、まるで出陣の格好で家中が門口まで見送ります。やっと歩ける子、まだ歩けない子にもまねだけでもさせます。その出で立ちは、手甲,すね当て、わらじばき、陣笠(すり鉢型)を被せます。陣笠は昔からあった家々伝来のもので、鷹の羽や九曜紋の紋付きで物々しく見えます。陣笠のない者は「味噌こししょうけ」をかぶります。門口に立ててあった「たたき竿」をかついで出立します。4歳か5歳の者も神棚の榊を担いで出かけます。前日の13日の夜は、子供たちは家で眠れなく,ワラ小屋の中に張り番をしたり,相手方の陣地をいたずらしに出かけたりします。

 

 15歳を「打ち上がり」といい大将で、14歳が副将です。15歳の者がいなければ14歳が大将となります。少年らが上下2組に分かれて、例のさかもぎ式の真竹の竹槍で,川を挟んで必死に突き合い打ち合うのだからもの凄かったそうです。槍は,4、5m余もあるでしょう。少年の腕にはなかなか使いこなせないから、途中で随時に折れて飛ぶ仕掛けになったり種々と工夫がこらしてあったそうです。大人も後から石や土塊を投げ合います。この際ばかりは,相互の公私にかかわらず悪口雑言の言い合うことを許され認められているから,ひどいことを暴露したそうです。それ故、入佐の人々は、日頃から人から後ろ指を指されるような言動は慎んだと言います。大人が形勢を見てやめさせ夕刻には終わり、大人は子供の勇戦奮闘をほめ1人前の男児として行動したことを喜んだそうです。けが人が続出し、掌を竹槍で貫かれることもあったので、今ではこの喧嘩祭は行われていません。入佐の人々は、大宮司を守り、いつも大宮司と共に戦いに馳せ参じたので、その誇りが鼻髭に表され「入佐髭」と呼ばれるようになったそうです。

2021年10月01日更新