アーチ  この鳥居の正面向かって右側(西側)に2段の石垣があり、その1段目の石段の西角に石のアーチがあります。井上清一先生は、これはあの肥後の石工、名工岩永三五郎が造ったものだとおっしゃっていました。岩永三五郎は、天保3年(1832)野尻の男成川目鑑橋(現在の聖橋)を架け、その翌年天保4年(1833)には下馬尾河目鑑橋(現在の浜町橋)を架けています。その浜町橋を架けた頃に岩永三五郎がこのアーチを架けたのではないかと言うことでした。

 現在土で埋まっていますが、このアーチの下はヌキ(横井戸)で、仲町の人々の生活用水として利用されていたと言います。
2015年04月10日更新