72788921_253s72788921_141s  次に、拝殿右に鎮座まします生目(いきめ)神社です。もとは、新町の妙見さんに鎮座していました。それを昭和40年代に現在地に移したそうです。生目神社は、旧蘇陽地区の滝上にもあります。御本社は宮崎市にあり、眼病の神様として有名です。

 「生目」の神社名については、一説に源平合戦の後に源頼朝に捕らわれた藤原景清が、源家の栄達を目にすることを厭うとともに源家への復讐を断念するために自身の両眼を抉ったところ、その志を賞した頼朝から日向勾当という勾当職と日向国の地300町(およそ3,600坪)を与えられたといい、当地へ下向した景清の没後にその(抉った)両眼を祀ったことによると伝えられています。

 また、御本社のある地が古くからの眼病治癒の霊地であったために「生目(活目)八幡宮」と称したとも、景行天皇の熊襲征伐の途次、先帝である活目入彦五十狭茅尊(いきめいりひこいさちのみこと。垂仁天皇)の崩御日にその霊を祀る祭祀(先帝祭)を当地において営んだため、住民がこれを嘉して引き続き聖地として崇め、「活目八幡宮」と称えたと言う説もあります(「ウィキペディア」より引用)。
2015年04月10日更新