図1図2



 次は、県道南田内大臣線を通って長野に移動します。長野は、文政8年頃の益城郡手鑑によれば、田5町9反余、畑3町3反余、竈数21、人数男30・女40合計70人、牛16・馬14です。南北朝期(14世紀)から見える地名です。


 長野バス停から西へ登ると長原地区農村公園があります。その一角の高台に年祢神社があります。拝殿と神殿とがありますが、神殿は神主しか入れないので、外観だけを眺めました。「国郡一統誌」によれば、この中に年大明神が祀られているようです。


 その後ろには、石祠があります。傾いて倒れかかっています。いったい何をお祀りしているのでしょうか? 

2018年06月05日更新