拾穂記には、日々の出来事がまるで一行日記のように記載されています。男成・小一領社を始めとする手永内各社の年間を通じての神事、祭礼行事はもちろん、お籠もりなども記録されています。その他に興行も記録されていますが、その内容と数の多さには驚かされます。

 

 浄瑠璃、附句、綱引き、地堅め相撲、初市、七夕市、暮れの市、三市、騎馬芸、傀儡芝居、小一領社宝物開帳踊り、軍書読み、子供芝居、孔雀見世物、地獄極楽絵人形見世物、女形芸者、川超名号万人講、火箭興業、座頭音曲、軽業芸者、仕組踊、雨乞踊、地踊、笹踊、雇踊、釣人形、雨踊作りもの、謡講、郷中雨踊、阿波の人形、伊勢御師、女曲馬、籠脱芸者、花火、浜出し、投入師、獅子舞、物まね等々今では想像もつかないような多種多様な芸能興業がなされています。

 

 このうち、外来興業は春から夏に多く、特に6月から11月に集中しているのは小一領・男成社を始めとして手永内村々の神社祭礼がこの時期に集中しているためだと岩本先生は分析されています。

 

 矢部手永内、特に浜町では、浄瑠璃や芝居や、孔雀の見世物まで多くの興行が支配側の禁止にも拘わらず強行されています。

 

 面白いことに、この拾穂記を書いた男成守寿は禁令を破って興行を敢行した民衆に心を寄せ、反対に不調法の断りを云っても民衆を理解しょうとしない惣庄屋の杓子定規的官僚支配の態度をなじっています。当時の惣庄屋は布田桂右衛門惟令です。布田保之助さんの祖父に当たります。非常に真面目な方のようで、男成守寿は「布田氏余り堅き生まれにして」と書き記しています。保之助さんも真面目な方だったようですからお祖父ちゃんの遺伝ですかね。

2021年12月07日更新