山都町には、「郷党歴代拾穂記」と言う街指定の文化財である古文書があります。著者は、江戸時代半ばの小一領神社の祠官であった男成大和守寿です。数多くの事を書き残してくれており、我々、郷土史を学ぶ者の大恩人です。守寿は、本書の中で次のような和歌を詠んでいます。

 筆の跡に書と々めすハいかにして昔の事の今に残らん

  後の人又書続け残しなハ今をむかしと忍れやせむ

さらには

  書とむるむかしの人のその姿に老の涙をためて見るかな

とも詠っています。
 本書は神代の時代から綴られ、時代を下り文明9年(1477)の項に

「阿蘇大宮司惟忠郷が出陣祈祷のために、男成神社に太刀一腰小釼を寄進した」

と書かれています。しかし、この男成守寿の時代にはその太刀の行方は不明でした。

 それが、「浜の館」発掘が行われた昭和49年に突然その太刀が世に出ました。太刀の名前は「友成」と言います。現在県立美術館で保管し、数年前4月3日の男成神社の例祭日に里帰り展示がなされました。
 天正15年(1587)8月15日の項には、
「阿蘇大宮司惟種卿逝去 畑村の内中村に墓あり
  村俗惟種大明神と称す8月15日祭りの角力あり」

 これは、畑のファミリーマートの道路向かいにある通称「オタッチョさん」の事ですね。命日(8月13日)に近い8月15日に祭りがあり相撲が行われていたことは、ぼくも知りませんでした。

2021年11月17日更新