岩尾城は、中世の城ですから自然の地形を利用した城です。これについては、岩尾城は当時の地形が残っていますのでほとんど手を加えることを要しません。敢えて手を加えるなら五老ケ滝側の棚田が、当時は空堀だったと言われていますので、空堀に復元するくらいだと思います。でも、棚田を壊すのはもったいないので、それについては説明文を設けるただけで良いのではないかと思います。その他に、二本の柱の上に冠木を貫き通し屋根をかけた冠木門や、木の枝を並べて垣にした鹿砦〈ろくさい〉を設置、拒馬(敵の進入を防ぐために用いられる移動可能な障害物)や逆茂木( 敵の侵入を防ぐために,先端を鋭くとがらせた木の枝を外に向けて並べ結び合わせた柵)を設置するだけで中世の城の大方の縄張りができます。それほど、金が掛かるとは思えません。

 

 誤っても岩尾城に近世の城の天守閣を設けようなどしてはいけません。天守閣は,1520年(永正17)摂津(兵庫県)の伊丹城にあった天守がその始まりだと言われています。なお,岩尾城周辺は,鍬でも削れるほどの柔らかい凝灰岩です。これを45度以上の角度で削れば天然の石垣です。

 

 岩尾城が復元できれば、通潤橋と併せて観光資源となり、観光客の滞在時間も長くなります。また、中世の山城を散歩コース並みで見学できるところはそう多くはありません。岩尾城の周囲の木を伐れば、浜ノ館も片平台地も御廟も全部丸見えです。当時の情景が偲ばれます。

2021年11月06日更新