岩尾城は、言うまでもなく浜の館を守るための城です。ただし、城というと皆さん熊本城みたいな近世の城を想像されるかと思いますが、岩尾城は中世の城ですから近世の城とはだいぶ趣が違います。普段は城では生活しないで、イザ戦いの時に人々が城に集まってきます。

 

 岩尾城の北側と西側は五老ケ滝川に囲まれ南側は五老ケ滝の深い渓谷で隔絶された天然の要害です。五老ケ滝側には現在棚田が形成されていますが、あれはその昔、空堀だったそうです。本丸に当たる位置に城山神社が建立されており、通称「若宮さん」と呼ばれ、菅原道真公と阿蘇公17代神霊(惟次・惟義・惟景・惟国・惟直・惟時・惟種)が祭られています。本丸以外に二の丸、三の丸、出丸を有し、大手門に始まり、一の木戸、西木戸、二の木戸、裏木戸、木戸櫓、大手櫓、手形櫓、飯櫓、隅櫓、物見櫓、虎口、操練場(馬場)等々多くの地名が残っています。

 

 なお、岩尾城のことを別名「亀甲城」とも言います。岩尾城の大手門は、五老ケ滝川に架かる城山橋付近ですが、当時はあの城山橋下の川は現在の図書館の北側を迂回しており、図書館までは岩尾城と陸続きでした。空から見ると岩尾城は別名「亀甲城」の通り亀の形をしており、図書館のところが亀の頭の部分で本丸が亀の甲羅の部分となります。大川町と言う町名は現在の五老ケ滝川が大川町通り沿いを流れ図書館の北側を迂回していたからです。また、図書館周辺を古川町と呼ぶのもその名残です。

 

 岩尾城のことを「亀甲城」と呼ぶと言いましたが、それに対して愛藤寺城は「舞鶴城」と呼んでいます。それは、愛藤寺城がまるで鶴が羽を伸ばしているかのように見えるからです。

2021年11月03日更新