(前回より続く)

 

 続いて向かったのは,県道阿蘇公園線にへ戻り,鶴の舞橋東隣の八本宣人さん宅です。ここが,阿蘇(恵良)惟澄の館だったと伝えられ,現在でも八本さん宅の屋号は「恵良」を称しています。

 なぜ,「恵良」なのかと言えば諸説ありますが,惟澄が恵良家からの婿養子だからと云う説があります。恵良家も阿蘇家の社家のひとつです。社家というのは,代々特定神社の神職を世襲してきた家(氏族)のことです。恵良屋敷の北東,すなわち鬼門方向に入佐城がそびえています。またその反対の南西方向には入佐神社があります。最初惟澄は,ここを拠点とするために入佐城を築いたとされています。後に,甲佐岳の福城寺,次に甲佐の下市の妙智院,さらには同じく甲佐の早川の養寿院へと本拠を移しています。

 最後は,時間が経過したので,時間の許す者だけで,入佐城及び恵良観音を見学し,帰りには畑のイギナ原も見学して今回の野外研修は終了となりました。

2021年09月28日更新