福王寺については、この「阿蘇家の足跡を訪ねて」の初回で紹介しましたが、現在の福王寺は寛文3年(1663)に現在地に再興されたもので、元の福王寺は片平の高台にあり、現在ここは茶畑となっています。

天文13年(1544)阿蘇惟豊は、後奈良天皇から勅使中納言烏丸光康を通じて従三位を賜りました。このときに、勅使中納言烏丸光康の宿泊所が福王寺だと伝えられています。当時の福王寺は、現在の福王寺ではなくここ福王寺跡になります。

 さて、この福王寺跡の段上には、福王寺の僧侶たちのお墓があります。入り口に近い方から板碑が有り、次に無縫塔があり、次に又板碑があります。

 この板碑は天正十年壬午(1582)十月二六日とあります。さらにその奥には、天正三年乙亥(1575)十二月九日の建立の板碑があり、一番奥には法印豪忠、天正十三年乙酉(1585)六月十八日と刻まれた無縫塔があります。

 その横に立てられた標木の説明書きによれば、「豪忠は福王寺の住職で天文年間(1544)に阿蘇大宮司惟豊が皇居修復費を献納する時京都まで使者になった人と伝えられている」とあります。一方、矢部風土記では「・・福王寺の僧、弁恵を以て往復せしめ、・・」とあります。

2021年10月15日更新