久しぶりに現場へ出ました。御岳の聖橋の信号を南へ曲がって旧道へ入りますと、旧御岳中学校の入り口前に石の祠がありました。

 

 車を停め、祠の中を覗いたら、大日如来像が祀られていました。大日如来の光背の上部中央には「大日」、その右には「牛馬」、左に「安全」と彫ってあります。そして、石像の台石中央には「奉納大乗妙典六十六部日本廻國」、右に「天下和順五穀成就」、左に「日月清明國土安穏」、台座の下には「當國 熊ノ庄 行者」と刻んであります。側面に天保4年とありますので1833年に彫られたもののようです。

 

 「奉納大乗妙典六十六部日本廻國」と言う言葉の意味がわかりませんでしたので、帰宅してからネットで調べました。「奉納大乗妙典六十六部日本廻國」というのは、かって日本を構成していた66の国ごとの霊場に法華経を1部ずつ奉納して行く巡礼のことだそうです。と言うことは、ここが霊場だったと言うことですね。そう言えば、すぐ近くには聖滝があり御岳山(見立山)がありますね。

 

 同じく旧御岳中学校のグランド東南に社があり、その扁額には単に「田神社」と書いてありました。ここら辺りの田は、男成神社の神田だそうです。もっと色々立ち寄って覗き見したいのですが、仕事があるので今日はここまでにして仕事に向かいました。

 

 ここからは、FB友達のSさん及びKさんらとのやりとりです。

 

S 続編が楽しみになってきました。

 

田上 いつも、事務所か役所ばかりですので、たまに現場に出ると寄り道ばかりしています。ちなみに、聖橋は天保3年(1832)に完成しています。よって、この石祠はその一年後に祀られたことになります。日向街道を行き来する人は、出来たばかりの聖橋を渡り、この大日如来に手を合わせ道中の無事を祈ったのでしょうね。

 

S 橋が開通する前までは何処を通っていたのですかねえ?街道ですから木橋があった?新しい橋を記念して奉納されたのかも?

 

田上 聖橋の上流に通潤橋の吹上樋の実験をした「こぶれがし」と言うところがあります。その付近を徒士渡していたようです。笹原川を渡って笹原へ登る途中の旧日向街道沿いに地蔵が祀られています。

 旧御岳中学校前を日向街道が通るようになったのは、聖橋が架橋されてからではないかとぼくは思っています。その前は、「こぶれがし」から地蔵の前を通って尾根に登り塔の原へ向かったのではないかと想像します。日向街道は時代によって変遷していると日向街道について教えていただいた林駿一先生がおっしゃっていました。

 

S 浜町までの塩の道はそれなりに想像がつきそうですが、清和、馬見原へは何処から?

 

田上 浜町までの塩の道は、ご推察のとおり三角の郡浦から現在の国道の218号線に沿って下馬尾まで運ばれたと言われています。下馬尾からは、入佐を中継しさらに東へ運ばれたと聞いていますが、蘇陽地区には塩にちなんだ地名があります。塩出は、上と下、部落に分かれていますが、いずれも昔は岩()塩が採られていたと言われていたところより名付けられたと言います。斗塩は、斗とはその量を現わすものと解されますが塩出部落より出た塩をこの地にて量って出荷されていたため斗塩と称したとも言われています。出迫は、古くは「しおちさこ」とも称し、地名は岩塩が採取されたことにちなむと伝えられています。このように、蘇陽地区では岩塩が採れていたようです。

 

田上 田神社が気になるので調べてみました。地元では「たんかみさん(田ノ神さん)」と呼んでいるようです。そこで祭神を調べましたところ、「国造速瓶玉神」でした。すなわち健磐龍命の御子ですね。ここも阿蘇氏が矢部に来る前は、土俗的な信仰の対象だったのでしょうが、阿蘇氏の神々に置き換えられたみたいですね。

 

S 田の神さんは薩摩方面から移入?阿蘇市内牧温泉にも最近、田の神様が復元祭祀されましたが阿蘇神社の支配が及ばなかった小国両神社支配勢力の影響があるのかも?という話を聞きました。


田上 田の神は冬は山の神となり、春は里におりて田の神となって田を守り、豊作をもたらすとされています。ここの「たんかみさん」も山と里とを行き来する神だったのかはわかりません。

 山と里とを往来する神としては「さくら」がありますね。「さくら」の「さ」は、さなぶり、早苗、早乙女、の「さ」稲の神様のことだと言われています。「くら」は、神様の座る場所のことです。

 山から穀物の神様が降りてきて、種蒔き時期を教えてくれる。昔は、山桜の枝を一本伐って来て田の畦にさして御神酒を呑み交わして種蒔きが行なわれていたと言われています。これが花見の始まりだとされています。

 そして、秋になると紅葉狩りがありますが、これは収穫を終えたあと、穀物の神を山へお送りする行事だったと云います。

 他にも山と里(川)とを行き来する神がいましたね。山にいるときは山童と呼ばれ、川にいるときは河童と呼ばれる。ぼくらのご先祖さんも普段は山に居り、お正月やお盆になると家へ帰ってきます。そして、エネルギーを与えてくれます。日本の民俗って面白いですね。

 

S  田上さま このおはなし、いいですねえ。囲炉裏端で湯飲み酒片手に祖父母から聞かされた話というストーリーで短編ビデオ作品にしたいですね。今秋末頃、浜町へ出かけて収録させていただけませんか?囲炉裏が残されているのは菅集落あたりでしょうか

 

田上 話者は、ぼくなんかよりもっとお年寄りの方が似合います(笑)。

 

S ご謙遜を!文章書ける方でないと伝承語りの風情がでませんので・・よろしくです。

 

K 里から山に入る場所に、塩利 塩尻 あるいは 枝折 などの地名を見かけます。山の神様 枝折神 に榊の枝を折って捧げる結界だと言われます。しおり という言葉は、現在では、既読と未読の境に挟む 栞 という名の結界で名残をとどめているようです。

 

田上 最近は、ゴミ対策や立ち小便対策として、赤い鳥居が利用されています。これも結界をイメージした物なのでしょうね。

 

S 結界の読み方さえ知らぬ連中には効き目なしですね。勘違いした馬鹿者がいまして、ゴミ捨てないように赤い鳥居を立てたところ、逆に廃棄物置き場案内と・・錆びた鳥居は捨てられたものと思われるのがオチ?

 

田上 さびた鳥居では効き目も薄れますね(笑)

2021年11月01日更新