「宝暦11辛巳年正月十五夜浜町綱引き止む。昔より之有り上町下町相分かれ東雲寺馬場を境として上下勝負をなす。すごすごとして闘争に及ぶ親族兄弟もその夜は敵味方となり勝事争う。宜しいことではない故に智恵ある人が之を止めた。」

 

とあります。当時までは,浜町でも十五夜の綱引きが行われていたことが分かります。

 

 「宝暦11年辛巳間部氏借家に住居しける喜八妻クメ女小児を懐に7月15日夜密かに五老瀧に飛びて死す。三十余女なり,翌16日数人滝下に集まり筏に乗り死骸をようやく尋ねこれを得て直ちに染野に葬る。此の祖母も昔千滝に飛ぶ。」

 

最近は,無くなりましたが,以前は瀧飛び自殺がよくありました。

 

「同(宝暦)13年発未正月26日小一領神社籠堂御札納所の後口の岸を堀其土を取って町筋の道を作りける時牧野村八蔵横町の伊助と云う者は岸崩れ土に押され即死す,道作りの土持夫7・8人ありける新町の者ゆへ此の難を免れ,伊助・八蔵は余所者なり残りは皆町の者故此の難を免れたりと云い,籠所壁際より余り間もなかりければ不浄かかり殊に社内の事故その晩より男成伊豫参籠して一七日清め祓いを勤。」

 

 お宮には,古札納所があります。これは,役目を終えた御札やお守りを納め焼納する場所です。その焼納した後の灰を道造りの盛土か何かに利用しようとしたのでしょう。ところが,崖崩れが生じ八蔵と伊助が生き埋めになり即死したようです。他にも作業員はいたのですが,他は皆町の者なので難を逃れたと書いてあります。伊助は横町なのに余所者だと書かれていますので,恐らく他から越してきた者だと思われます。男成伊豫とは,もちろん小一領神社の神主のことで,神社内での事故なので参籠して一七日(ひとなぬか)清め祓いを勤めたと記してあります。
2021年12月08日更新