阿蘇氏の系譜としては、「阿蘇家傳 系譜」があります。

阿蘇氏の南郷から矢部への移転の時期については、承元元年(1207)惟次の時代と従来伝えられて来ました。この根拠として、阿蘇家傳書が挙げられていましたが、学芸員さんがこの阿蘇家傳書を調べてもそのような記述は無いと言います。これには、ぼくも驚きました。矢部町史にもそのように記載してあるのに、そのような記述はないというのですから。


 中世阿蘇大宮司が益城郡に所領を持っていたことを示す文献としては、興国6年(1345)の「征西将軍令旨写(阿蘇文書)」があります。これには、征西府が恵良惟澄に矢部を兵料料所として与えた旨が記されています。これは、「恵良惟澄軍忠状」の中で惟澄が延元2年(1337)甲佐で挙兵し、6月矢部山を攻めて越前守頼顕の代官を追い落として、即ち矢部を占領したことを賞して、その収入を軍費に充てる土地(料所)として与えたものです。


 阿蘇品保夫先生は、「本来矢部が阿蘇氏の所領なら取り返したことになるので所領安堵という形をとったはずですし、建武の恩賞申請において,矢部も加えて要望せねばならぬところです。或いは他人に与えられたとあれば、自分の方に権利があると阿蘇氏が訴訟すべき土地ということになります。」として当時阿蘇氏は、まだ矢部に移住していなかったとみられています。

(次回へ続く)

 

2021年09月07日更新