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 例年7月24日は、新町の地蔵祭。新町の金比羅さんへ登る中腹に 安養山極楽寺地蔵が祀られている。このお地蔵さんは、今から314年前の宝永元年(1704)第6代矢部惣庄屋矢部勘右衛門重政が延命無病息災、諸難削除を祈念して自らノミを振って彫刻したものであると伝えられている。このお地蔵さんは別名「火伏地蔵」とも呼ばれている。


 それは、享保16年(1731)12月8日、浜町に大火があって、下町、本町、横町、新町が焼失した。その後、新町の人たちは、このお地蔵さんを祀って火難消滅の結願を行った。そのためか、宝暦4年(1754)の大火の時は、新町は火難から逃れたと云う。その言い伝えから「火伏地蔵」と呼ばれている。

 このお地蔵さんで、何よりも忘れてならないことは、このお地蔵さんを彫った矢部勘右衛門重政が前述の新町を造った惣庄屋であるということ。

2018年03月29日更新