宝暦13年発未春嶋已兮志賀小左衛門二百石隠居なり 矢部氏宅に来滞留ありて浜町娘・子供呼集養蚕糸採の法を教えられける,又養蚕並びに桑仕立方之書一巻宛村々に渡され其術と植桑の仕方を教えられける。

 

 宝暦の改革の一環として奨励された養蚕製糸業の事が書かれています。志賀小左衛門とは後に嶋已兮と改名した藩士志賀半右衛門のことだと思います。半右衛門は藩の命令で京都に上り,養蚕機織のことをつぶさに研究し,藩内の普及指導に努めました。浜町には宝暦13年の春に来て,浜町の商店の娘や子供たちに養蚕,採糸の方法を教えました。後に惣庄屋間部公豊は,新町惣右衛門の娘さつと古町孫市の娘きまの二人を已兮宅に送って機織りの一切を稽古させました。これにより,矢部地方では養蚕製糸業が非常に盛んと成り外貨獲得となりました。


 不思議なものですね。宝暦の改革の地引き合わせにより疲弊した浜町が同じ宝暦の改革で奨励された養蚕製糸業で危機を脱するとは,転んでもただでは起きない浜町商人の生き様が伝わるかのようです。

2021年12月10日更新