10306477_664449813634853_7706578015670766170_n10306477_664449813634853_7706578015670766170_n   早いもので、今年も半分が過ぎましたね。昔の人は、1年を6月晦日と12月晦日の半分に分けて考えました。晦日(みそか)というのは、月の最終日のことです。昔は太陰太陽暦でしたので、29日または30日が月の最終日でした。


 それが、太陽暦に変わり小の月は30日、大の月は31日が晦日となった次第です。よって、6月晦日は6月30日で12月晦日は12月31日のことです。特に12月晦日のことを大晦日と呼んでいます。


 大晦日が新年を迎えるための大切な日であったのとおなじように、六月晦日も、神に年の前半のあいだの無事を感謝し、収穫までの後半年の無事を祈るための物忌みの日、祓いの日と考えられたのです


 昔、宮廷では十二月晦日と六月晦日の年二回、「大祓い」の神事が行われていました。祓いは、日本の神祭りの基本とも言える作法で、大祓いの本来の意義は、年間を通じて最も大切な正月と七月の祖霊迎えの行事を前にして、物忌みを行うことでした。


 そして、十二月のほうを「年越し」と呼ぶのに対し、六月のほうを「名越し(夏越し)」と呼んだのです。その起源は古く、七百一年制定の「大宝律令」に定められています。それは、大内裏の未雀院に天皇に仕える百官の貴族が集まって、国民が犯した罪を除き去るために大祓いの詞をよみあげる儀式でした。この大祓いの行事は次第に民間の神社でも行われるようになりました。

 

 夏越祓いの方法は、人形(ひとがた)にけがれを移して水に流す方法と、「茅の輪くぐり」という方法とがあります。人形を使う方法は、人形に息を吐きかけたりなでたりして災いのもとを人形に託し、陰陽師がこの人形に対して祓いを行ってから御祓川(みそぎがわ)と呼ばれる水辺に流します。


 一方、茅の輪くぐりというのは、神社の境内に茅の輪を設け、参拝者がそれをくぐることによって身のけがれを祓います。そうすることで、夏の恐ろしい伝染病や水の災難を防ぐことができると考えられたのです。

 

  なぜ、夏越祓いとして茅の輪くぐりを行うようになったかは「備後風土記」に書かれている「蘇民将来の話」が由来となっています。あるとき、北海にいた武塔神(むとうしん)が南海にいた女神を訪れようとして道に迷ってしままいまた。そこで蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)の2人の兄弟に一夜の宿を頼みましたが、弟の巨旦将来は金持ちでしたがのに断り、兄の蘇民将来は貧しけれども武搭神を喜んで家に招き入れ、粟殻の座布因に座らせ、粟飯をごちそうして宿を提供しました。武塔神は恩返しとして蘇民将来に「茅の輪」のお守りを授け、蘇民将来の一家の者の腰に着けさせました。

 すると、村に疫病がはやって、みな死に絶えてしまったのに、蘇民将来の一家だけが無事だったのでした。それから、茅の輪は疫病退散、無病患災のシンボルとなったと言う事です。武塔神はスサノオの命の事、備後地方は広島県東部の事です(お話歳時記より)。

ぼくの実家である神社でも、6月30日は朝から茅の輪くぐりが行われています。


 ぼくも、夕方6時過ぎから身体を清め白衣をまとい、陰陽師に変身して大祓の祝詞を唱えながら人形の祓いを行います。一連の神事が終われば、もちろんそのあと直会(なおらい)が行われます。毎年繰り返し行われる年中行事の中に、日本人の原風景を見る思いがします。

 

 

極めて汚も滞無れば穢とはあらじ内外の玉垣清淨と申す 


 きわめきたなきもたまりなければ 

 きたなきとはあらじ

 うちとのたまがき

 きよくきよしともうす

 

二拝二拍手一拝

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